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 のだ初・トップページ > コンテスト・トップページ > 「第5回コンテスト」エピソード部門・受賞作品
エピソード部門・受賞作品
エピソード部門は、たまごかけごはんにまつわる思い出・エピソードを募集して、感動・笑いなどを与えてくれた作品に賞を送ります。
エピソード部門 大賞 受賞者:O.Mさん(岡山県)
賞品 「にわとりオーナー権」
当社直営農場のにわとりのオーナーになっていただき、産み初めから終わりまでのたまごと観察日記を定期的にお届けします。
今から40年以上前、私がまだ小学校二年生の時の出来事です。
普段無口な父が珍しく私を玉野市の花火大会に連れて行ってくれました。
それまで、父と二人だけで出掛けた事はなかったと思います。

建ち並ぶ夜店に私の視線は奪われっぱなし。もし一緒にいたのが父でなかったら ”あれがほしいこれがほしい” と、店の前で地団駄を踏んでいたはずです。 でも父の前ではなぜ  かそれが出来ませんでした。
しかし、グッと堪えていた私の足をピタリと引き止める物に出会ってしまったのです。
そこには、赤や青 黄色に緑といった色に着色されたヒヨコでした。
目を輝かせ一心不乱に見つめていた私の心の声が聞こえたかのように、父はニッコリ笑い言いました。
「何色が良い?」
私は緑のヒヨコを買ってもらいました。

家に帰って、私は一生懸命ヒヨコの世話をしました。ヒヨコは大きくなるにつれて羽根の色はなくなり、普通の鶏になりました。
それでも飽きることなく私は世話を続けました。
「もう大きくなったのになかなか卵を産まないな、はやく産まないかなぁ。」 そう言う私の言葉に、家族はニッコリと微笑みむばかり・・・・

そしてある朝、私が鶏小屋に行ってみると、小屋の隅に真っ白な卵がありました。 
嬉しくなった私は卵を手にみんなに見せて回りました。
「お前が頑張って世話をしたから産んだんよ。だからお前が食べなさい。」
そう言って、おばあちゃんが卵かけご飯を作ってくれました。
それまで食べていた卵かけご飯に比べると、甘味があって、最高に美味しく感じたのを覚えてます!
でも、その卵かけご飯には秘密があったのです!

数年後、おばあちゃんが亡くなって10日ほどが過ぎた夕飯のときでした。
卵をたった一つしか産まないまま、近所の養鶏所に引き取られて行った、あの緑のヒヨコの話しになりました。
父は言いました。
「夜店に売ってるヒヨコは全部オスじゃから卵を生むはずがない。」
私は驚きました!
あの時私は、 鶏=卵 という考えしか持っておらず、雄だとか雌だとか考えてもいなかったのです。
父の言葉で全てを知りました。
そうです、あの日の卵は一生懸命に鶏の世話をし続けた私を悲しませまいと、おばあちゃんがこっそり置いてくれたものだったのです。 
だからあの鶏は卵をたった一つしか産まなかったのです。

あの日の卵かけご飯が特別美味しかったのは、黄身と白身に加え、おばあちゃんの優しさが混ぜ込まれていたからに違いありません。
【コメント】
子供の夢をこわさないためにおばあちゃんのついた優しいウソ。ついて良いウソと悪いウソがあるんだなぁと思いました。
おばあちゃんがこっそりたまごを置きに行く光景が目に浮かぶようでした。
ぶったま賞 受賞者:T.Hさん(岡山県) 賞品「宝山窯備前焼 ぶったまごはん碗」
我が家に妻の短大時代の友人が3人泊まりにきました。翌朝朝食としてたまごかけごはんを出しました。
妻が茶碗にたまごを割り入れ、たまごの上にごはんを盛ったのをみて、ビックリして理由を聞くと、たまごを入れる
容器を洗う手間を省くためだと・・・。
私は妻にそれは『ごはんかけたまご』だと文句を言いました。美味しそうなたまごが見えないという理由です。
 
その数日後、新聞でタレントの彦麻呂さんのたまごかけごはんの食べ方が掲載されていました。
その方法とは、妻がお客さんに出したようにたまごの上にごはんを盛るというものでした。
 
以来、私は妻に文句を言った食べ方をしています。
ぶったま賞 受賞者:K.Tさん(神奈川県) 賞品「宝山窯備前焼 ぶったまごはん碗」
私は、幼いころからアトピー性皮膚炎で子供の頃は特に酷く手はぼろぼろで辛い思いもしました。
そんな中、食べることは楽しみで、特にたまごかけごはんが大好きで、毎日食べており、何度も食べようとするところを母親に叱られて我慢していたくらいです。
つまり偏食も酷かったのです。

母親が私の皮膚炎の症状にみかねて、専門の皮膚科に連れて行ったのはもう中学生になる手前くらい。
アレルギー源の検査をすると言われました。
嫌な予感がします。
皮膚病の元になっている食材や原因を調べると言うのです。

「それがわかってどうするの?」私が尋ねると、
「もちろん、原因を絶つんだよ」とお医者さん。
「いっ、いいです!私はしません、我慢します」私は即答しました。
お医者さんは呆気に取られ、母親も困惑顔でした。
原因の中に玉子が入っているのは間違いないと思ったからです。
玉子が食べられなくなるくらいなら、皮膚病は我慢する。その代わり玉子以外の物も食べよう。
そう決心して病院を後にしました。

大人になった今、嫌いな食べ物は全く無くなり、症状は昔よりは軽くなりました。
玉子は今も大好きです。
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