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 のだ初・トップページ > コンテスト・トップページ > 「第2回コンテスト」エピソード部門・受賞作品
エピソード部門・受賞作品
エピソード部門は、たまごかけごはんにまつわる思い出・エピソードを募集して、感動・笑いなどを与えてくれた作品に賞を送ります。
エピソード部門 大賞 受賞者 A.Sさん(福岡県)
賞品 「にわとりオーナー権」
当社直営農場のにわとりのオーナーになっていただき、産み初めから終わりまでのたまごと観察日記を定期的にお届けします。
私がまだ幼い頃、父が事故に遭い、家で私のめんどうを見ていた母は荷物をまとめ、姉が小学校から帰るのを待って、慌てて病院に向かいました。

夕飯の時間になっても、母は帰ってきません。私は父の心配よりも、空腹感で泣き出しました。
当時、まだ若かった母は不安と焦燥で、子供たちの食事の事まで考えている余裕はなかったのでしょう。
その時、姉は小学校低学年ながら、留守を守らなければ、妹のめんどうを見なければという気持ちだったのでしょうか、必死で私を慰めます。
そして、それでも泣き止まない私に、姉はよい事を思いついたように、「そうだ!」と手を打ち、現れたのが炊飯器に残ったごはんとたまごで作られた“たまごかけごはん”だったのです。
当時、姉たちはたまごかけごはんを食べているのに、私は小さいからとの理由で食 べさせてもらえなかった憧れのメニューです。
私は興奮しました。姉はそれを小さなお箸ですくって、私の口に運んでくれました。
お箸を持つことが今でも苦手な姉は、子供用のプラスチックのお箸ではなかなかすくえず、食べたと思ったら、口を開けるツバメの子のような私に一生懸命食べさせてくれました。
初めての味に感動した記憶は、残念ながらありません。その時の私が姉に美味しいと言ったのか、ありがとうと言ったのか定かではありませんが、そのたまごかけごはんを食べたことで安心して泣き止んだことは事実です。

深夜帰ってきた母に号泣して抱きつく私。そばで姉は静かに泣いていました。
母は姉に、「ごめんね、ごめんね、ありがとう、ありがとう」と何度も申し訳なさそうに、そして嬉しそうに言いました。

大人になり、その時の話をすると、母が「あの頃、まだあんたはたまごアレルギーがあったんだよ。だから、たまごかけごはんなんか絶対食べたらいけんかったんやけ ど、不思議と全くブツブツ出んかったんよねぇ。」と暴露。

「私はそれ知っとったんやけど、あんた泣いてうるさいから、その場しのぎで食べさせたんよねぇ。」と姉。本当は姉であるというだけで、理不尽だった過去は思い出したくもないそうです。

あの時、事故に遭った父は、今家族の誰よりも元気で日曜日の朝はたまごかけごは んの用意するのが仕事です。
優秀作品賞 受賞者 K.Sさん(福岡県) 賞品「宝山窯備前焼 ぶったまごはん碗」
私が6才ぐらいの頃・・・。朝の食卓に生たまごが付いていました。
何故か自分でたまごを割りたくて、「今日は自分でする。」と言い、人生初めてのたまごかけごは んに挑戦した時のことです。
こんこんとちゃぶ台の角でたまごを割り、ごはんの上にのせました。醤油をかけて、ごはんと混ぜます。
そ、そ、その時です。たまごとごはんがうまく混ざらず、こぼしてしまったのです。
「あっ」と思う間もなく、父のげんこつが「ごちん!」と落ちてきました。そして、父が言いました。
「にわとりが大切に産んでくれたたまごだ。母さんが朝早くから炊いてくれたごはんだ。こぼすとは何事だ!」と怒られました。「おまえは、感謝の気 持ちがないからこぼすんだ。」と言われました。
その時は、父の言っている言葉の意味がわからず泣いていましたが、自分が母となり、ごはんの支度をするようになってから、ようやく理解できました。命をもらって(食べて)生きていることに感謝しなさい、家族のためにごはんを作ってくれている母に感謝しなさい・・・、と言いたかったのを。

今でもたまごかけごはんをすると、あの日を思い出します。そして、父の話を息子にします。食べ物に感謝する気持ちが大切なんだと、おじいちゃんが教えてくれたと。
その父も今はいません。だけど、たまごかけごはんの話は、今でも家訓のように健在です!
優秀作品賞 受賞者 H.Kさん(東京都) 賞品「宝山窯備前焼 ぶったまごはん碗」
初めて一人暮らしをしたのは18の春だった。
狭い部屋だったけど、自分の城。限りなく楽しい日々が待っていた。心配して、引越しについてきた母親に「もう帰っていいよ!」と邪険に言って、ドアを閉めたっけ。
食べ物は補充しないとなくなる、ってことに気づいたのは翌日だった。いつもは何の気なしに買い物していたスーパーも、「生きるために」そこにあった。
料理もできない僕は、1時間もうろうろした挙句10個入りの生たまごを買った。
家に帰って気づいたこと。いつも、お釜に入っているごはんも自分で炊かなくちゃいけないんだ。血の気が引いて、あわてて冷蔵庫をあさったら、新聞紙に包まれた塊 ・・・、にぎりこぶし大のごはんがいくつもラップに包んであった。
「レンジで温めて食べてね。母より」
ごはんにたまごを落とすと、ぷるんとはねた。カーテンのない薄暗い部屋で、呼吸すら忘れて食べた。
うまかったけど、あの味は二度と再現できない。涙が醤油の代わりをしていたからだと思うんだ。
優秀作品賞 受賞者 S.Kさん(岡山県) 賞品「宝山窯備前焼 ぶったまごはん碗」
“たまごかけごはん”と聞くと、10年前の昼食風景が思い出され、今でも吹き出しそうになります。
3人の息子たちは、ちっちゃい頃からたまごかけごはんが大好きで、忙しい昼食時は毎日のようにたまごかけごはんでした。
たまたまその日は、おかずがたくさんあり、白いごはんで3人とお昼ごはんを食べていました。
みんなが食べ終わる頃に、当時2、3歳だった次男が「たまごかけごはんにして」とぐずり出しました。
もうごはんも半分ぐらいなくなっていたので、今更!?「も〜う、 もう少し早く言ってよ」と声を荒げると、次男はなにやらぶつぶつ言い始めました。
よくよく聞いてみると、「たまごかけごはん、たまごかけごはん、たまごかけごはん・・・。」・・・、そうなんです。「たまごかけごはん」と早口で言えば、大好きなたまごかけごはんがもらえると思って、まわらない舌で一生懸命「たまごかけごはん」を早口で言おうとがんばっていたんです。
初めは次男の行動の意味がわからなかった私も思わず吹き出し、不機嫌だった私からたまごかけごはんをゲットした次男でした。

懐かしくって、おもしろかったたまごかけごはんの思い出です。
ぶったま賞 賞品「ぶったまごはんギフト」 3名
 
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